日光道中歩き 千住宿~草加宿(2019-4-20)
  北千住駅-千住新橋-島根鷲神社-炎天寺-毛長川-瀬崎浅間神社-草加宿  約14km
 今日も歩き日和です。8:45に千代田線北千住駅到着、なのですが田舎もんで1番出口に降りてしまい飲み屋さん通りと西側通りを2周もしてしまいました。やっとの事で金蔵寺と勝専寺を探し当て歩行進行になりました。
写真は赤門と言われる勝専寺です。
どうも駅前での古寺めぐりは面食らいました。大抵はそれ真直ぐ歩け、だったので。




そして古くからある商店街に入ります。立派ですね、東海道や中山道、甲州街道、そして日光街道とある内,この千住宿はダントツの賑わいがあった(今でもある)そうです。
写真は入口の横断幕です。
商店街の中に案内所やお団子屋に立寄りお昼用に買ってしまいました。
歩く界隈にお寺が多いです。人口も多かった性でしょうか。


次は珍しく由緒ある整形外科(接骨医)を訪れました。過去の街道歩きではなかった光景です。読みますと「関東一円の名骨接ぎ医師名倉医院」だそうです。ここで見てもらう為の宿泊場が何件もあったとか、現在も名医は引き継いでいるんですね。

写真は名倉医院です。








賑やかな通りを終え荒川に架かる千住新橋を渡り首都高沿いに左側に進み再び旧道に入ります。そこで気づいたのですが、歩道が広いせいか自転車で突っ走る皆さんが多いですね。
梅島駅が近い事もあるのか分かりませんがお子さんを乗せる素晴らしい椅子が前後に配置された自転車が歩いています自分達をベルで促がし走って行きます。その量が多い事。
梅島駅を過ぎ、環七を越えた当たりから歩道を突っ走る自転車が少なくなってきました。
  11:15ほぼ行程の半分程の浅間鷲神社に着きました。ここでお昼と思っていましたらお祭りの太鼓音が激しく聞こえて来ます。あちゃ~!だったのですが、彼らも丁度終了のようで静かになりほっとした次第です。石に腰かけて千住宿で買いましたお団子を食べる事にします。
この神社は日本武尊が先人の神(氷川、天神、熊野、靖国等)を海岸の傍で迎えた処で安産宝授の神社との事です。

次に今回の歩きは史跡をちゃんと見て行こうと決めていますので街道から離れた炎天寺へも寄ることにしました。

炎天寺は平安期の中ごろに創建されたとの事で6月の日照りが続いたため6月村炎天寺としたそうです。小林一茶の俳句が有名とありました。
小さな池に大小の蛙が頓挫しています。

*痩せ蛙 まけるな一茶 此処にあり
*蝉なくや 六月村の 炎天寺


13:25左手に大きい煙突、足立清掃工場を見て毛長川に到着、埼玉県草加市に入ります。(写真)
何故か川に配管が浮島で施されてありました。水道管?何の配管??

考えても分かりませんので歩きます。




県道54号の吉町5丁目脇に火あぶり地蔵尊(写真)があります。母の病を気にした奉公の娘が放火してしまったため火あぶりの刑となった為の地蔵尊、詳しくは「草加市火あぶり地蔵尊」で
という訳で14時草加宿到着、草加駅には14:10でした。
本日の歩きはこれで終わりです。約14kmでしたがスタートのしくじりがまずかったです。
(草加せんべい食べ損ねた!)
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