日本橋-小伝馬町-浅草橋-蔵前-浅草-南千住-千住大橋 - 北千住駅 約7.5km |
さあ!又夫婦2人での出発です。ご存じの日本橋ですが今回は本当に道路面中央に埋め込まれています「日本道路元標」にタッチしてスタートしました。 実は地下鉄日本橋で降りたのですが出ましたら全くの方向音痴状態です。日本橋には15程かかってしまいました。 三越を越えて千疋屋前を右折、小伝馬町を歩くと首都高にぶつかるが地下道は行かず左の江戸通りまで行き、再び戻って来ます。地下道はホームレスの方がおりますので。 しばらく行きますと神田川に架かる浅草橋を渡ります。 ここは旧道地図を見ながら歩いているのですがやっとこの行き方で大丈夫!と確信して来ました。実はスマホは持ってないので地図片手での歩きです。 地下鉄蔵前駅付近からは旧道コースを逸脱して隅田川縁を行きます。 スカイツリーが青空にくっきりとそそり立っていました。 隅田川縁は憩いの川べりですね。歩道がきれいに整備されていやされます。 だんだんと人通りが多くなって来ました。雷門に差し掛かります。ひえ~!日本人が全くいませんね、中国が旧正月休み(春節)なんですね。やっぱりせっかく浅草に来ましたので仲見世の脇を通って浅草寺で安全祈願と御朱印を書いて頂きました。 これは思川の泪橋があった荒川の史跡です。囚人が処刑される前に通った橋との事です。 さあ~て南千住に近づきました。それにしても何処にも街道名が表示されていませんね、、。 |
出てきました!やっと「日光街道」の標識です。 国道4号と交わる地点の素盞雄神社手前で現れました。これをみて自分がどこを歩いているかが確認されました。知らない道は地図上と現地が一致しないと不安なのです。ハイ! スマホなしの現実です。 素盞雄神社です。 「素盞雄命と事代主命の二神を祭っている。 創建は延暦15年(795)と伝えられる荊石信仰(石神信仰)の神社で、境内には瑞光石なるものがある。また、元禄2年(1689)3月27日松尾芭蕉が「奥の細道」への門出にあたり、千住で別れを惜しんだことを記念して、文政3年(1820)に建立された矢立初の碑が残されている。」という神社です。史跡をいう程ではないのですが。 先にいよいよ千住大橋が見えて来ました。徳川時代に入って最初に隅田川に架けた大橋だそうです。 今でもがっちりした頑丈な橋ですね。江戸は(東京は)海に近づくと橋が多くなりますね、江戸を作った徳川は凄いですね。 橋を下り4号線とは分岐となり旧道に入り千住宿となります。 あ~!なつかしい2年ぶりの宿場通りを歩きます。屋号の看板があり、家の間口が狭く、奥行きが遠い宿場街、、いいですね。 写真は千住宿から富士(不二)を見た北斎の富岳36景です。 こちらも来て書いていたんですね。 日光道中歩き、本日スタートは北千住駅でおしまい!浅草では人々で疲れましたがほぼ問題なし!では次回へ。 |
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