旧中山道歩き    
    
行動日 2016/05/15 歩行時間 8.2Hr
歩行区間 細久手宿~大田宿手前 歩数 33620歩
 昨夜は待望の旅籠「大黒屋」に泊ました。いい雰囲気でした。その前の晩、外人さんの団体(12人)が泊まったそうで、一人の方が階段から滑り落ちてしまったそうです。汗かきの方らしく靴下内にベビーパウダー(シッカロール)を付けて降りた為との事で「滑りますのでご注意」と言われていました。こちらは高齢者故、夜中にトイレに起きて行くのですが慎重々状態でしたね。ケガしないで良かったです。さあ!5時起床、6:30朝食(7時と言ってたのですが)7:30出発です。目標は行ける処までです。御嵩駅以降は名鉄が並行して走っていますの何時でも中断出来安心です。
7:30大黒屋を出て細久手宿ともお別れです。やはり今日も山歩きが多く、店がないため水分を事前購入、昼はカロリーメイトとしました。

豆知識:細久手や大湫の「くて」とは?低湿地を言うのだそうです。

平岩の石佛、秋葉坂三尊を越えると又また予定通り登り道です。
しばらく行くと御殿場跡というのがありますが、ここは1861年(文久元年)10月20日京を出た皇女和宮様降嫁で休憩した処との事です。この行列は約5000人、4組に分かれて5km程の長い行列だったそうです。150年程前はこんな事をしていたのですね。

            御殿場跡

8:35鴨之巣一里塚に到着、標高が約400mとなりました。ここで瑞浪市が終わり、御嵩町に入ります。
諸の木峠を通過し一呑の清水(今は清水ではありません)、謡坂の石畳の処でトイレが200m先にあるとの事で向かった処が写真の様なマリア像がありました。「突然に、、、」でビックリ。
昭和56年に道路工事の際、十字架を刻んだ石やマリア像が発掘されたそうです。

当時は隠れキリシタンが多くいた証だそうです。

トイレ!トイレです。!!
もうこれからは下りのみの様です

        中央側へ⇒

牛の鼻欠け坂
京よりから上る坂道は牛の鼻をも擦れて欠けてしまう難所ですね。






和泉式部廟を越えるとR21に入ります。久し振りの国道歩きです。何故か「やれやれ」という気分です。本当は大嫌いなのですが、ずっと里山や尾根、峠ばかりの歩きから解放された気持ちです。御嵩宿に入りました11:30です。
御嵩駅前の願興寺で昼食とします。やっぱりカロリーメイトだけじゃつまらないので売店で五平餅がありましたので頬張りました。(やっぱり食べ過ぎだな~!)

さてお昼が終わり、どこまで行くかなのですが、15時まで歩こう、という事に決め伏見宿を目指す事にします。

(伏見宿)

13:40ほぼ1時間を掛けて伏見宿に到着です。ずっとR21沿い(時々旧道パターン入り)でやはりうんざりしてきました。






伏見宿は、木曽川の流れの変化で渡し場の位置が上流に移動し廃宿となった土田(どた)宿に変わって、元禄7年(1694)に新設された宿場だそうです。 しかし、宿場の機能はあまり発展せず、嘉永元年(1848)の大火で焼失した本陣は再建されることがなかったそうです。
という訳でひたすらR21沿いです。変化が無く面白くありません、連れとの会話も減って来ました。もう20km近くを歩いています。今回は昨日といい、今日といい20km超は何年ぶりです、疲れました。
JR太多線をR21から分かれて通過しました。う~んもう限界!近くの駅で終わりとします。R248を横切り名鉄日本ライン今渡駅に到着15:15分です。
一応大田宿入口まで歩きました約23.6kmでした。
ハイお疲れ様でした。本日はここまで~!

今回はカメラが作動しなくなった為地図と記憶での記述となり今一になってしまいました。



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