旧中山道歩き    
    
行動日 2016/03/05 歩行時間 4.0Hr
歩行区間 中津川宿~大井宿  歩数 17857歩
今回も変則行動です。兎に角現在家からの移動が一番難しい処と、いかに安価に行動するには?なので。
よって何時もは早朝からの移動でしたが、今回は歩き前日の夕方仕事を終えてから車での中津川宿へです。宿は前回と同じ「パレスホテル栄」としました。ここの朝食は¥300-なのですから(笑)。ところが、20:30過ぎに到着したため町に出て居酒屋に入ってしまいました。何が「安価で行動する」でしょうか?
 
中津川駅前通りより右折したら途端に路面が写真の如く玉砂利です。これなら歩き易いし地図不要です。
さあ!出発です。

久し振りの市街地歩行となりました。やはり所々で桝形道があります。スタート直後の性か軽やかです。

小休止処の「往来庭」がありました。当時の宿場を模していますが奥行きが全くありませんね。トイレ休憩のみで歩き始めました。


ほぼ1時間程で上宿の一里塚到着です。(下写真)土も盛り上がってケヤキも植えられています。再現しているのだと思います。


30分位行きますとコンビニ店があり、その向こうが旧道消滅地点となっています。(R19の中津川IC)
しかし素晴らしいです、案内看板がしっかりサポートしてあり間違える事なく正旧道に行く事が出来ました。こういう取り組みはその町の意気込みなんでしょうか。先の木曽路の旧道歩き冊子やここの標識といい親切ですね。(旧東海道歩きの時、東海道線が旧道を塞いでしまって案内が見当たらない事がありました)
    
右上に続く⇒
 
R19を左手に見ながら(と、いいますか「餃子の王将」がありましたので。(私は大の餃子好き)歩きますと石灯籠の様な六地地蔵があります。(下写真)



段々と家並も少なくなり里山っぽい街道になってきました。こういう処がいいんですね。中央本線からも離れて行きます。
下の写真は美濃の国代官の岡田将監善同の塚で名古屋築城での材木番所で木曽材持ち出し代官との事です。


11時やっと恵那市に入りました。まだ々里歩きですが池というか沼が多々見られます。ちゃんとコイがいますね。この町はコイ養殖なのかしら??
11時半甚平坂公園到着です。歌川広重の大井宿を模した石碑(写真)があり小休止です。

ここからは遠く御嶽山が見えるとの事ですが、、、今日は曇りに付全く見えません。

     右上に続く⇒
中央高速の手前に関戸の一里塚があります。(写真)江戸から87里との事でいや~ずいぶんと歩いたもんだ。と自分に感心しました。歩けるのは健康の証です、感謝・感謝。



いよいよ大井宿に入りました。12時です。丁度4時間となります。



大井宿は美濃17宿で最も繁盛した宿場だそうです。町は結構復元に力を入れて居る様で当時の面影が多く見られました。


大井宿本陣跡


下は番外編です。 

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本陣から歩く事数分で「明治天皇行在所」があり盛んに見て行きなさいの声で寄ってみました。
明治天皇陛下が宿泊された家がそのまま残っており語り部の方が説明されてくれました。
 天皇陛下が進呈されたお土産だそうです。
天皇陛下がこの宿で入られた風呂との事です。