旧中山道歩き  
   
行動日 2016/10/15 歩行時間 7.5Hr
歩行区間 赤坂宿手前~柏原宿 歩数 32012歩
7月以来の歩きです。本当は9月を目論んでいましたが、土日になると雨が多く見送り、見送りのオンパレードでした。ここに来て天気予報が好天情報をくれたのでGO!する事にしました。前回同様ビジネスホテル泊の2日行程です。小田原駅6:15発ひかり広島行きに乗り、大垣で養老鉄道に乗り換え東赤坂駅到着が8:33、さあ!再開です。
養老鉄道の東赤坂駅で降りました。さあ!約400年前の日本を変えた関ケ原約20Kmに向けての出発です。

東赤坂駅から約10分歩くと赤坂宿のランドマークである火の見櫓が見えて来ました。(下写真)

この赤坂宿は旅籠の景観を残している町ですね。栄えた当時は、杭瀬川に赤坂港があり石灰岩や大理石を搬出したとの事、丁度旧港は改築工事中でしたが港まつり準備中でした。


広重が描いた赤坂宿を横にパチリ!

ちょっと路地を見ますとこの様に残っているのですね。
赤坂宿を抜けて間もなく昼飯大塚古墳が再生されていました。(写真下)古墳横の模型で全容が判りました。約1600年前の前方後円墳で大きさは岐阜県最大との事です。


    中央側へ⇒
青野の一里塚を通過し11:00を過ぎて垂井宿に入りました。最初に中山道と美濃路の分岐があるのですが目印の相川が余りにも小さい、ここ?。違いました今少し歩いて本物の分岐(追分)がありました。追分を迷って通過して間もなく大きな石鳥居が、南宮(なんぐう)大社大鳥居。徳川家光が石屋権兵衛に400両で作らせたとか。(写真下)で、石屋は大儲けしたのかしら?

街中で昔を忍ぶ屋号札が目に付きました。う~んちょっと小さいですね。あんまりやりたくないのでしょうか?妻籠宿等に比べると小ぶりですね。


垂井宿を過ぎると各大名ののぼりが通りに表示されて来ました。山内一豊の陣地を通り、野上松並木は最早関ケ原合戦状態の様です。そして右手R21の左上には徳川家康の初陣跡(桃配山)が見えて来ました。(写真)


それがなんと今日は「関ケ原合戦祭り」なんですね。
関ケ原の駅に近づくにつれ人、人、人の波。国道沿いのガソリンスタンドのご主人からパンフを渡されならばとスケジュールに見入ったのですが、時間は既に14時を過ぎており大半の出し物は終わってしまいました。又道草しては柏原宿は暗くなるとで主会場は断念しましたが雰囲気は十分味わいました。

(地図はクリックで大きくなります)

    右側へ⇒

この人出はやはりNHK大河ドラマの影響なんでしょうね。明日16日は石田三成役の山本耕史さんがトークするとか。又戦場故、大名の陣地が点在している為それを巡るスタンプラリーが流行っていますね。やって見たい気持ちになりました。
そんなこんなで関ケ原脱出!次の宿場今須宿への登りにかかって来ました。

写真は今須宿の一里塚です。そして広重の「今須宿」を見て寝物語の碑到着です。(写真下)
当時の番所や旅籠では話し声が筒抜け状態を語っており静御前の物語(江田源蔵と巡り合った)とか。

本日のフィニッシュ岐阜県と滋賀県を跨ぎました。

さあ!後は柏原宿へ下るだけです。今日はよ~歩きました。

写真は柏原駅直近の旧道通りです。時間は16時過ぎ、自分達の影が長く伸びています。今日無事に歩き終えました、又明日です。


 


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